中学3年生、大人になりたい時期

「明日、学校を休みたい?」
母親は仕方のないような、諦めのついた顔をして聞き返す。
ついこないだも同じ事があったでしょ、なんて言葉を飲み込んでいるように見えた。
僕の兄にもこんな時期があったのだろうか、こういう時の対処の仕方がわかっているのか僕の発言を足蹴にする。
なんて言ったって、今は中学3年生の冬、僕は高専の受験を終えていた。
高専に行く気しかなかった僕は公立高校(=工業高校)への受験なんて特に関係ないもの、と思っていたので。高専の受験が終わるや否や、学校行きたくない病を発病。
母親が言うに「高専なんか受かるかどうかもわかんないんだから一応工業も受けておきなさい」と。

僕はそんな言葉、聞いていなかった。結果としてこの母親の助言は聞かなくてよかったのだが、相当危ない橋を渡っていた事は当時気づいていたが、見てみぬフリ。
ここで少し、粋がる。
”俺は絶対受かっている”
根拠の無い自信、この場合は虚勢と言うのだろうか。
そんな看板を掲げて母親に対抗。


「もう行く意味なんてないでしょ。」
学校に行ったって、公立高校の受験のためのプリント、演習問題を延々とやらされる日々。
私立へと進路が決定していた他の奴らは僕より一足先にこの気分を味わっている。
僕もついに、その仲間に。
ここまでつまらない学校もないだろう。
なんで僕の受験は終わったに人の受験にまで付き合わされなきゃならんのだ。
俺は終わったんだ、俺の中学3年生は終わったんだ。
俺は今、制服を着て学校に行く人間じゃない。
俺は家で部屋の片付けをして、まだ行ってもいない高校生活を夢見るべき人間なのだ。
なんで、俺は真逆の釧路まで行く覚悟を決めているのに、これからこの専門をやっていこうと腹をくくった人間なのに、それを三年間後にほっぽりだして下らない基礎教養をやってセンターなんていうクソ面白くもないテストを受けるウケる奴らと足を揃えてヨイショしなくてはならんのだ。

この時期、中学3年生は反骨精神の塊である。
何を言われようと歯向かってやる。そんな時期なのだ。

俺は今、こんな事をしている暇なんてないんだ。(≒忙しい、というわけでもなく時間を持て余したいだけ)

つまりは、自分で勝手に設定したゴールに時間まかせに進み、ゴールに入ったはいいが有効か判断されていない(受験の合否)のに、優勝台に登っているわけ。

過去をみてあの判断は正しかった、などとぼやくことは簡単だが、過去に未来の僕(今の
僕)にあン時は正しかったなんて言えるような選択を現在形でするのは難しい。

今でさえ、僕のあの頃は間違ってなかったといえるが、この先はどうだと言えるか。

確かに、僕は中学3年生、高専を受験して奇跡的に受かり、私立高校も工業高校も蹴って高専に入学することができた。
中学3年生、”公立高校を目指す方々”向けの学校がオススメしてる演習の時間も、受験向けのプリントをみんなでやることも今見れば、”高専を受験した日”にその意味はなさなくなっていた。

僕は僕の中で決まってないが、事実を確信したらそれを前提に行動する癖がある。
小学校でも、中学校でも、高校でも変わっていない。
でも大体、僕が確信してそれを元に行動するときは80%くらい上手く行ってる。

この時もその80%に当たったのだろう。
僕は”高専に受かった”という事実を作り出し、確信し、行動した。
高専受験後、僕はそれまでややまじめに取り組んで居た学校の課題をやらなくなった。
それに伴い、僕の中の”既成事実”は増大していく。

俺は受かったんだ、公立なんて行かない、進路も決まったんだし、学校へ行く用事なんてない。

ここまででようやく冒頭の説明ができた。

反骨精神の塊、何を行っても否定して返してやる、聞く耳持たずの時期。
自分の中ででた最善の方法、「学校に行かない」が「学校に行きなさい」と形を替えて耳に入ってくる。

その押し問答、僕の身勝手な熱弁を聞き入れた母親は「そうなの、でも行きなさい」と諭す。
僕はその結論に満足し、明日こそ学校に行かない決心を大事に抱えてキッチンから自分の部屋へと持ち帰る。
言葉も少ない、表現力もない、でもわかって欲しいという巨大な意志の剣は40ウン年生きてきた母親を少し言いくるめたことに満足し、巨大な剣を振りかざした反動で疲れる未熟な中学生は背伸びした気分になって晩御飯を食べて、教科書を無造作に床に放り投げベットに潜り込む。


ここで話題を替えます。
中学生とは、大人になりたくてでも大人には到底かなわない事を知っていて、でも大人とは少し違うことを見せたい、少々難儀な時期だと思う。
子供、中学生、青二才、大人なんていう区分わけでいいと思う。
子供に見てほしくない、でも大人になるには全然遠い、そんな感じ。
だから、中学生の時期っていうのは親が、周りが、見守っていなきゃならないモノだと思うんです。
それをわかっていて僕の母親は優しく見守ってくれたのでしょう。
また、思春期という自分が乗り越えてきた壁の奥を見透かして、対応してくれたのでしょう。
親というのは困ったものです。
うるせぇ、なんて感じても5年くらい立ったら親心ってことの気づくんですよ。

僕の父親だって、高専に行くなんて言ったら心配の逆ギレして止めてくれました。
”うるせぇ、単身赴任の野郎が、俺が家にいなくてもテメェにはどうでもいいだろ”
とかその時は思ったんですけど、これは自分主体の考え方です。
子供が家にいて欲しい、できれば自分の手を掛けて育てたい(単身赴任も相当つらかったのだと思う)、もし遠く離れた学校にいくならば尚更心配だ、そんな感情も含めての父親からの引き止めだったと思うんです。

母親は、看護学校で今の僕みたいな経験(寮生活、遠く離れた学校に通う)をしているので自分と重ね合わせ、親目線でも重ねあわせ、小さい言葉だけども、確実な助言をしてくれていたのです。

中学生だなんて難儀したブツに対応するだけでもため息なのに、15歳なんてくそガキが家を出て寮生活をしたいだなんて、気絶ですね。

大人から見れば15歳は全くのがきんちょ、しかし当の本人は大丈夫だむしろ家よりマシなんてことを喚き散らす。

対応にこまりますよね、そりゃぁ。
中学生卒業したてのガキを放り出して、あまり干渉できない場所に投げ飛ばす(本人が希望している)んですから。


話を本流に戻しましょう。

そんな中学生は親の見透かした薄っぺらい言葉にダマされ、自分の欲望が一時満たされことに満足して寝るのです。


でもどうせ、明日の朝、眠たい頭は昨日のことなんて全て忘れて制服を着ているだろう。
そんなものです。

意味がないことをわかっていて、自分で出た結論がいかに理論上では正しくても、眠たくて中学生がまだ頭の中で起動してない状態では素直です。

昨日、大事に部屋に持ち帰った”学校に行かない”決心は寝相でコナゴナに砕け、ダイヤモンドダストとなって北海道の冬景色へとなりました。

起きて、おはようって言われて、暖かいトーストとコーヒーを出されてたら、素直に親のいうことは聴いちゃうものです。
「遅刻しちゃうよ」という言葉は今の素直な中学生には「あぁ、急がなきゃ」となります。

もらったお金を取っておいて、冬休みに買ったiPodnanoをポケットにいれてイヤホンをつけて玄関を出ます。(登校中に音楽再生機器は禁止でしたが)


これで、学校についたら馴染みの友達と「くそ、今日も来てしまった」
「俺は夏用のスラックスで来たぜ、スゲーだろ」なんて下らない会話をして
やりたくないプリントは折って紙飛行機にして、隣の真面目な女子が問題を解いてるのをみてすこし良心が湧き上がって最初の簡単な問題を解いて、面倒くさくなってその後は隣後ろの奴らに話しかけて給食食べて眠くなって帰る、それでまた晩御飯の準備をしている母親に向かって「ガッコー行きたくない発作」を表すんですね。


思春期通過真っ最中にそんな見透かしてくれる親の元を離れて過ごすのは少し失敗だったかなぁなんておもいました。


学校行きたくない、なんて甘ったれた事を言って優しく声を掛けてくれる人はいないのです。
今の僕は学校に行きたくなかったら行かなくていいし、いくら自分に甘えてもいいんです。

でもその先がどうなってるか知らないですが。


僕は、中学生の時、受験を終わったとき、学校に行かなくてもいいという正しい選択をしたはずなのです。
それが正しかったとして、高専に来たのは正解だったんでしょうか。
それとも、工業高校に行ったほうが楽しかったのでしょうか。


僕の中学校時代と今の状況を見て、こんな事を考えました。
中学校を卒業して、まだ2年とちょっとしか立ってないんです。
変わった事は数えきれず。
何が正解か、それとも正解をたどるのが良いとこなのか、わからずに奔走しているだけ。

言いたいことが上手くまとまらず、へんちくりんな文になってしまったけど、大意は伝わったんじゃないかな。
なんとなくでいいから、感じてほしい。

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