空飛ぶ車から物事の本質について考えル

ふと思いついたので適当に書いて自分なりの考えをまとめて置きます

くっそくだらないけど…


よく過去の「未来予想図」的な何かで「空飛ぶ車」っていうのが現れるじゃないですか。
あれは要するに願望の現れだと思うんです。

多分その空飛ぶ車が現れると予想された時、大衆の手にはいよいよ車が十分に行き渡る頃だったと思います。

つまり、ほぼすべての家庭には車とういう装備が標準になるわけですよ。
さらにその昔は「車がほしい」といった願望だったのでしょうが、車はとても人生で帰るとは夢にも思わなかったはずです。

いつしか、時代の流れで車の価格は一個人が買えてしまうほどの値段になったわけです。

そのとき人々はこう考えたでしょう。
「車が変えるようになったのだから、いつかは飛行機も?」
と。

しかし常識的な理性がその考えを吹き飛ばします。
飛行機なんてもの、あんな高いのに変えるわけがない…

でも、前例として買えるとは思ってもいなかった車が、玄関先にあるのです。


心の奥底で「飛行機が将来手に入るんじゃないか?」と思ってしまうわけです。

要するに、飛行機が買えるようになってほしい。事実車は買うことができた。しかし普通は飛行機なんて…

という意識のせめぎあいをした後に脳はこう回答を弾き出したでしょう。

「空飛ぶ車なら…」

安直ですね。常識的に考えて飛行機が買えないなら車を飛ばせばいい。
実に素直、かつエレガントな解答です。


僕がイイたいのはですね…
「空飛ぶ車が未来に登場」=「個人で飛行機に乗りたい」
ということなのではないか?という点です。

今現在ちょっとお金を出せば巨大な航空機に乗って何千キロと離れた場所へ行くことが可能です。

個人で飛行機を操れなくても誰かの飛行機で誰かが操縦して空を飛んでどこかに行くことは、この社会が成し得た一つの成果です。


あれほど渇望した「飛行機がほしい」=「空を飛びたい」という夢はかなってしまいました。
さぁどうしましょう。


空飛ぶ車はいらなくなってしまったのです。
人間が想像できるものは今では金と労力を惜しまなければたいていのことは実現出来てしまいます


ここまでグダグダ言っておいてようやくまとめ上げますが

物事の本質っていうのは言葉の裏の隅に隠されているんではないかということ。
また曲解しまくれば全然別なことにも意味を見いだせるのじゃないかって。

未来では空飛ぶ車が走ってる?イイね
未来では空飛ぶ車が走ってる?キミはヘリコプターが欲しいのか。

ってな具合になんでも取れちゃうわけです
でも
キミは猫が好きなのかい?じゃあ英国に行って逆立ちをしてきなさい


なんていうわけのわからんことを言えるわけでしてそのつまりえぇっと書いてることがわけわかんなくなってきた。


物事っていうのは深く注意して見ないとよくわからないよ?
目先のことでだまされないでねってことを言いたかっただけ…



僕は英国で逆立ちするのは趣味じゃないですし、日本国外から出たこともありません。
空飛ぶ車でも降ってきたら猫でも連れてヒマラヤ山脈でも超えていくかなぁ…
その時までに紅茶を飲めるようになっておきますね。くわばらくわばら

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